YAaの日記

頑張ろう、頑張って

楽しすぎる

高校生が楽しすぎる。

それはもう幸せな体験を数えきれないくらい覚えきれないくらいした。

この先どんな嫌なことがあっても失望しない。

もう今の時点で、生まれたことに、私の人生に、価値がある。

過去は消えないし変わりもしない。

めっちゃ良いことだ。

死ぬのが嫌じゃなくなるときって、めちゃくちゃ辛い思いをするか、もしくはめちゃくちゃ幸せな思いをしたときなのか(*´﹀`*)

 

高校生の悩み

歌詞っぽく、

私の最近の悩みを書きました

頑張りましょう

 

どうせ全部あれもこれもワザとなんでしょ?

人は自分のために使う物でしかないんでしょ
強制的に和やかにするためだろうがなんだろうが

その常に上がる口角 膨らむ涙袋
発言に見合わない明るい声 ゾワゾワするよ

 

結果全部自分のため 隠すな
妄想の余地を与えないでこのまま裏の裏の裏を読んでドブに飲み込まれそうなんだ

 

なんで正直に言わないんだ笑うんだ
ひねくり回して伝えんだ

分かるよ自分の正義にはごまかしが効く
目先の目的を前にするとすぐグニャリ
曖昧なもんだ
だからそうやって別に嘘じゃないって
誤解を期待しながらさ 

 

 

巻き戻したい、でも戻せない
周りの空気がどんどん複雑に絡んでいく
どこで息を吸えばいいかも分かんない
いちいち疑って考えないとなんだ

 

何年か前に見てひいた親同士のやりとり
あのときはなんでそんなあえて耐えて変えてるんだろうと
思ってたけど今は自分らにバトンが回ってきたようだよ

 

バカだ何がJK構文だ 君は
可愛ぶって口調作ってつらに面かぶってるんだろ
いずれそれが常識のテンションになって
普通のテンションじゃ息苦しくなるんだろ

 

どうして、 どうして

あの頃の君は私たちは変わり始めてしまったんだろう

教えて、 教えて

あのときの沈黙は心地よい無表情はどこへ行ってしまったんだろう

 

だって誰かが笑顔を押し付けてきたらさ
自分も同じように笑顔を返さないとダメでしょ、友達だから

 

何が友達だ

友達って言って友情って言って
足を引いて落とし合ってるだけの私らだろ

ほら私なんて今の今もこうやって悩んでるんだ

何が悲しくてあの好きだった君らに楽しい時間を奪われなきゃならない

 

 

新しく出逢う異性は
どうあがいても性別を意識するしかない
異性の親友なんて多分もう作れない
小さな頃からずっと一緒にいないとダメなんだろう

 

 

こういう感じかそうか
大人に変化してく最中ってのは
意地張ってると苦しいだけですか

 

 

でもまだ頑張るよ
血潮は流れみんな生きてて友達なんだって
忘れてないんだから
大丈夫だから 手をつないで キラキラしようよ

 

 

 

 

 

こんなかしこく大人になっていく過程でなにか悪いことにつながる性質が身についていったりするんですかね。

とはいえ国際的に日本の社会がまだ平和なだけで幸せですよね。

世界中の平和は実現するのかなぁ。

まずは北朝鮮と対談しようとしてる勇敢な岸田総理に、何か応援のメッセージ送ろうっと。

世界で1番

この中に世界で1番○○な人がいるのかぁ

って感じながらGoogleEarthを見るのって

楽しそう。まだやってないけど。

 

まあ考えてみりゃ当たり前だけど、この○○に入ることって、無限にあるって気づいた。

優しい人とか可愛い人とかそういう感覚的なのは、人によって基準が違うから難しいけど。

ただ、誰かにとって1番○○な人

なら絶対決まる。

 

この世の中のひとりひとり、必ず、なにか、世界で1番なことを持っている。

 

悪かったりしょぼかったりする1番もあるが、それはたまたま人生観から評価してそうなのであって、他の何かから見たり他の世界線行ってみたりしたら1番良いことになるんじゃないかなぁ。

とはいえ人生観からみて残酷な1番に誇り持って、他の人を傷つけることはやめよう。私も傷つけられたくないので。

もちろん、自分はここにいる人間で、この世界の人間としてすごい人になりたいので、良い要素で一番を取れるよう努力したいなぁ。

真理の真理が知りたい

真理は、人類の最終地点。多分。今の私はそう思う。最終地点だから、真理なのだろう。いや、分からないけど。

もし、いわゆる神という存在ひとつが、すべてを創り上げたのならば、それの存在が真理となるのだろうか。

そしたらなんだかがっかりする予感がする。

こんなに謎があって奥ゆかしい世界なのに、すべてはこのひとつから生まれたにすぎないのかと。

もし多元宇宙論とやらが本当ならば、真理はひとつじゃなかったりするのか。

それらさえもまとめる真理があるのだろうか。

哲学者たちの目指すべきところはなんなのだろうか。

物理学者たちの最終的に求めるものとはなんなのだろうか。

真理なんかをもたない、そんなただの世界かもしれない、分からない。

そもそも真理は大切なのだろうか。

正直、幸せな気分のときは真理なんかどうでもいいなと思ってしまう。

どうでもいい人にとっては価値がない。

動植物にとっては価値がない。

それともそんなものたちさえも動かすような圧倒的なものをもっているのだろうか。

式ひとつとかですべてが表せるとは思えない。解決するとは思えない。

やっぱり私の思う真理はないのだろうか。

分野別にしか真理はないのだろうか。それは真理といえるのか。

考えるだけ時間の無駄な可能性もあると思えてきた。

今みたいに楽しく友達と家族と過ごして、留学とかして過ごすのが良い過ごし方なのか。

哲学や物理の道に進むのはあまり意味がないのでしょうか。

そちらの研究者さん達は、好奇心を満たすために考えているのでしょうか。

義務感のようなものを感じているのでしょうか。真理に価値を感じているんでしょうか。もう、目を逸らしてしまっても良いのか。

 

可能性だと?

目を手で覆われていた方が、

幸せだったりする。

 

可能性がある。

私達には無数の選択肢がある。

 

ということは

可能性を捨てなきゃいけないということ。

 

どれかを選ぶために

溢れる可能性を捨てなければならない。

 

それは苦しいこと。

 

それならいっそ、ほかの夢を見せないでほしい叶わないんだから。

 

大きな選択をするたび、死に方を決めているのだと思ってしまう。

 

溢れる可能性を捨てて、捨てて、捨てながら生を進めていく。

 

最終的に死んで、可能性は0になる。

 

その先になにがあるのか?なにもない。

天国や地獄があろうとも、善か悪かにしか注目してもらえない。

 

どうしようもないことだ。

 

いや、ポジティブに考えないと。

 

なんで、すぐそばに可能性を置いておかないと、安心できないんだろうな?

 

そこにあるのはないようなもので、結局存在するのは自分だけ、じゃんか。

 

気づかなければ。

 

生まれたばっかの赤ちゃんは、あらゆる可能性をふわふわまとっている。ただし、本体はすっからかん。すっからかーん。

 

息を失う直前の老人は、もはや     可能性をまとっていない。精選されたものが、その身に、現物となって、詰まっているから。

 

そこにあるものだけをみてみる。

 

空白の人間 と、

可能性を具現化したものが重たく詰まってる人間。

 

ほら、あとの方がよくない?

 

もしかして、未来の可能性って、人を安心させるために人によってつくられた概念かもしれないな

 

人って欲望が立派にある割には生きれる時間が足りてない。

 

色んな魅力で溢れてるのに

この道ひとすじを全部の道でやってみたいのにね。

 

足りてないんだよなぁ。

 

たくさんにふれようとすると、

上辺しか分からない。

けど

1つを探求しようとしたら、無数の魅力を知らないまま終えることになる。

 

私は今、多分上辺だけみている状態。

 

だからこの道ひとすじを全部の道でやってみたいなんて思うのかな。

 

そりゃどれもキラキラして輝くだろう。

 

多分みんな上辺を一番格好つけたいと思うから。

 

でも上辺以上の美しい場所が

その下にあるかもしれない。

 

そんな場所になら

一生を預けたい。

 

まとまりのない感じ…

難しいなあ、自由な生き方っていうのは。

私のを読んで、

モヤってくるところがあったりしたら、

自分の正解を考えてみて欲しいです。

矛と盾

プレゼンを控えるとき、声が震えることを恐れてる。

それが怖くて、不安で、緊張する。

そのせいで、声が震える。

緊張して緊張することに緊張して緊張する。

 

一生懸命努力して、

生きるために、死なないために、

努力して、

辛くなる。

そんで、意図して死ぬ。

死なないために努力して辛くて死ぬ。

 

矛盾はあるよ。

 

矛盾はある。

あってはいけないものじゃない。

 

気持ちに論理性を求めるなんて

はなからおかしなことなんだろう。

 

ヒトの‪”‬気持ち‪”‬こそ、この世界の法則への逆光なのかもなぁ

 

と思ったけどね、もっと考えると違うかもしれない。ごめん。。 

 

矛盾なんて言葉遊びなのかもしれない。

 

「こんなこととこんなことが矛盾してる」なんていうけど、

こういう文って短くない?

 

長く詳しく矛盾の理由を説明してるの、見たことない。私は。

 

まあ、表面だけ見たら、矛盾はある。

 

でも、深くまでいって、

複雑なものをときほぐしてみると、

意外と全部、かなっているのかもしれない、道理が。

 

どうなんだろうなぁ…

前者の考えの方が好きだけど、

救いようがあるのは後者だなぁって感じ。

 

 

 

おちたい

日々、決して道理にかなっているとは言い難いこの世界で過ごしていると、 なんか、グレたくなるときがあります。 「もうこれ以上おちることはないだろうって安心できるとこまで、行ってみたい」って。 きっとすごく楽なんだろう。 楽すぎて、人を傷つけることだってなんだって楽しんでできるのかもしれない。 (つい最近まで小学校いた気分なのに、こんなこと想うようになったんだなぁ。) 私はポジさんに相談します。 すると、ポジさんはこう答えてくれました。 「テスト期間中、テスト後の開放感を想うと凄くキラキラして見える。でも、テスト後には、意外と寂しい感じがあったりする。」と。 今の苦しんでる自分って、実はすごく貴重なのかもしれない。 挫折のチャンスは無数にあったけど、結局今の今まで這ってきて、苦しむ自分がいる。 そんな自分は、自分に嫌われるべきじゃない。 こうやって書いたは書いたけど、そう思うのにも努力が必要そうです。